タイの軍事クーデターから1年が経過しました。人生初のクーデター体験。2014年5月22日、パタヤからバンコクに戻る車内で一報を耳にしたのを今でもよく覚えています。
あれから1年が経過し、タイは今でも軍事政権下で政治が運営され、人々が暮らしています。経済はどのように変わったのか?そして、どう進むのか?今日はこの辺りをご紹介したいと思います。
タイの戒厳令発令、軍事クーデター(2014年)を振り返る
クーデター前に開催された反政府デモ(バンコク・シャットダウン)の様子 アソーク交差点
2013年11月より開始された反政府デモ隊(リーダーはステープ前副首相)による「バンコク・シャットダウン(バンコク封鎖)」を経て、現在の首相であるプラユット陸軍総司令官が5月20日タイ全土に戒厳令を発令。その後、5月22日17時に軍によるクーデターを宣言しました。
当時の戒厳令発布から、クーデターへ至る経緯はWikipediaに詳しく記載されています。クーデター後は軍政権より以下の内容等が発布されました。
- 君主制に関する部分を除いた憲法の停止
- 暫定内閣を停止
- 午後10時半から翌日午前5時までの外出禁止
- 5人以上の集会を禁止
- 全テレビ・ラジオ局は通常放送を中止、陸軍関連のもののみ放送
冒頭に書いた通り、私はこのニュースをパタヤからバンコクに戻る車内で聞きました。お客様をアテンドしホテルへお送りする途中で、内心かなり焦ったのを覚えています。タイ人スタッフに情報を確認させると、BTS(高架鉄道)・MRT(地下鉄)などの公共交通機関も運行を停止するとのこと。
渋滞で道路も帰路に着く車でいっぱいです。クーデターによる運行停止のため終電に近いBTSでお客様をチットロムまでお連れしました。宿泊先のバイヨークホテルに着くと、タイ国内最高層ホテルということもあり、兵士が銃を持ってホテルを囲んでいます。改めてクーデターを実感した瞬間でした。
参考までに、この2014年の軍事クーデターはタイ国内で1932年以降、19回目(直近は2006年)。人々は一定の緊張感を持ちながらも落ち着いて行動していました。日本法人に連絡を入れ、セブンイレブンで食料品を買い込み、タクシーで帰宅したのは今でも忘れられません。
クーデター後のタイ経済について
クーデターの2日後、チットロム地区の警備に当たるタイ陸軍兵士たち
タイの経済はその後、プラユット首相が2014年8月に首相就任して以降、安定して推移してきました。クーデター前にあった死傷者を伴う衝突もなくなり、経済の指標となる株価も、軍事クーデター以降は活発に推移しています。
不動産業界も同様で新プロジェクトの発表はクーデター後に相次ぎ、特にCBD(センター・ビジネス・ディストリクト)と呼ばれる都内中心部の物件は今でも高い販売率を維持し活況を呈しています。固定資産税・相続税の話があったことや、政策金利の引き下げも影響しているはずです。
▼タイ・クーデター1年 内需縮小、海外に活路 (日本経済新聞)
消費については低迷しているという意見もありますが、元来タイの家計債務が高いことも影響しているでしょう。昇給もインフレ率も2~3%で推移しています。個人的には海外に行くタイ人も増加し、特に日本でタイ人が中国人並みに爆買いしているというニュースもあるほどです。
大阪の観光情報を多言語発信する外国人向けウェブメディアの「BATTERA」(バッテラ)でも、現在は英語・中国語(簡体・繁体)・タイ語対応と、メジャー言語に並びタイ語が用意されています。先週、代表の福島さんにお会いする機会を得ましたが、タイからのアクセスは相当多く、日本への旅行熱は高まる一方のようです。
2015年末、東南アジアではASEAN経済共同体(AEC)の発足を迎えます。「ヒト」、「モノ」、「サービス」の移動が徐々に自由化される予定。タイは地政学的な利点が大きく、EUで言うところのドイツ・フランスのような立地を有し、相応の経済規模を既に持っています。
ライバルとなるのはシンガポール・マレーシアですが、シンガポールは既に人口に限界を迎えています。一方、タイはインドや中国へのアクセスも良く、東西経済回廊・南北経済回廊のいずれも要衝となる立地。「ASEAN内の東京化」という意味で、今後もタイは面白いと僕は感じています。
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