プミポン国王逝去、タイのいちばん長い日の記憶

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2016年10月13日、タイ王国のプミポン国王(ラーマ9世)がバンコクのシリラート病院で逝去。

私の住むバンコクでも数日前からついに「Xデー」を迎えるのか?という良くないウワサが強まっていました。即位から70年、タイ国民にも絶大な人気を誇った王様が亡くなられた日と、その翌日のバンコクの様子を記録として紹介します。

プミポン国王の逝去当日:2016年10月13日

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プミポン国王逝去の知らせ発表前のBTSアソーク駅 (2016年10月13日)

日付を遡ると、10月9日前後にタイ宮内庁から発表で「国王の健康状態が不安定」との発表。国王の体調問題はかねてからの懸念事項で、ここまでは普段から良くある内容だったと思います。

雲行きが怪しくなったのは、逝去される10月13日の数日前から。特に10月12日頃でしょうか、バンコクでは「国王の容体が(いつも以上に)思わしくない」とのニュースがSNS等で拡散されていました。

タイ証券取引指数(SET)も、その事実を裏付けるかのように直近の数日間で10%近く下落します。

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10月12日の時点では上のTwitterにもある通り、在住日本人の間でも国王の容体が懸念されていました。そして、翌13日の政府発表によりタイ全土が「ただごとではない」と気づきます。完全に。

【タイ】タイ字紙タイラット(電子版)によると、タイ軍事政権が設置した非民選の暫定国会「立法議会」は13日午後9時から特別集会を開く。重大な案件が発生したため。スラチャイ立法議会副議長が同日夕方、明らかにした。
(出所:newsclip.be “タイ暫定国会、13日夜に緊急集会 「重大案件」で“)

そして、冒頭のアソーク駅の写真を撮影してオフィスに戻った18時頃には、逝去が発表されていました。

プミポン国王の逝去発表:10月13日18時過ぎ

国王逝去発表後、アソークのオフィスでスタッフとどんな会話をしたか覚えてません。しかし、私も2014年のクーデターの経験があったため、「明日は街が平穏なら通常出勤、何かあればマネージャに相談の上で自宅待機も可」と伝えました。

逝去翌日、明日の判断を私は下せません。深夜便で福岡に出張の予定がもともと入っていたからです。準備のためオフィスを出たのは20時。既に多くのタイ人は帰路に付き、車の通行量も人通りも普段に比べると半分以下でした。

逝去当日のバンコクの街並み

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BTSプロンポン駅前のショッピングモール、エムクアティア。普段の派手なデジタルサイネージ広告は自粛され巨大な電光掲示板は消灯。モール内も人影はまばらで、開店休業に近い状態。クーデター時の戒厳令が思い起こされます。

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BTS駅構内。駅や車内の広告も全て停止され、国王追悼の黒い広告が既に流れていました。BTS車内は到着駅名を告げる自動音声アナウンスも停止、運転手が心なしか暗い声で駅名を告げるのみ。笑っているタイ人は一人もいませんでした。

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大型スーパー、テスコロータスで黒い服を求めるタイ人たち。国王が亡くなって数時間、国民が明日の外出に備え黒い服を買い揃える。こんなことが起こる国ってあるのでしょうか?プミポン国王がどれだけ尊敬されていたのか分かります。

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プミポン国王が逝去する「Xデー」。その日が来ることは誰もが予想してましたが、どうなるかは在住者ですら、きっとタイ人ですら分かっていなかったはずです。しかし、取り付け騒ぎなども起きず、逝去当日も街は平穏さを保っていました。

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ナイトライフで有名なアソークのソイ・カウボーイ。営業中の店舗も大半が照明を落としています。数店舗は営業を自粛していました。

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スワンナプーム空港へ向かう道中。空港周辺の巨大広告も一社を除き照明を落としています。

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スワンナプーム空港の離発着便は全て平常運行。空港は心なしか人が多い気もしましたが、特に遅延もなく飛行機は出発しました。

プミポン国王の逝去翌日:10月14日

日付が変わって10月14日、逝去翌日。15日に福岡でタイ不動産セミナーを開催するため、街の様子を知るべくスタッフに街中の写真を送るように依頼していました。そして、届いたのが上のツイートの写真。ほぼ全員が黒服着用です。

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日本時間の午後だったと思いますが、タイのメディアがFacebookのライブ動画を流していました。プミポン国王のご遺体が載っていると思われる車が病院を出発。これほど多くの国民から慕われるとは、タイ国民にとって本当に偉大な国王だったんでしょう。

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プミポン国王の遺体が運ばれた王宮周辺の夜の様子です。2週間経った今も王宮周辺を訪れるタイ人は後を絶ちませんが、既に遺体を運んだ前後から多くのタイ人が集まっていたようです。

(協力、一部写真提供:株式会社ラ・アトレアジア(タイランド))

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次期国王はワチラロンコン王子。そしてタイの経済は・・・

Chidlom Central World

次期国王には、プミポン国王の長男であるワチラロンコン王子の即位と報道されています。タイの株価も逝去当日に急激に回復し、従前の1,500ポイント前後を推移しています。

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不動産取引も、取引が流れないか心配していたケースがありました。逝去前からタイ人買主様がローン申請をしていた事例です。しかし、無事ローン審査を終了し、登記手続きに入っています。

タイ国内で、一定の消費自粛ムードはありますが、肌感覚としては経済に大きな支障はありません。

歴史の転換点を迎えるタイ王国

2013年には「バンコク・シャットダウン」と呼ばれる主要交差点の封鎖、2014年にはクーデター、2015年にはエラワン廟爆破テロがあり、2016年はプミポン国王の逝去。波乱万丈のタイ生活ですが、それでもタイは良い国だと自信をもって言えます。

今年はロイカトーン(精霊流し)やハロウィン、クリスマスなどのイベントは自粛されるタイ。観光スポットなども例年の元気さはありませんが、そういう今だからこそ、タイを訪れてほしい。在住者として、強くそう思います。

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バンコク在住、タイ不動産のラ・アトレアジア(タイランド)元代表。2013年にバンコクへ移住し、不動産仲介会社設立。バンコクのコンドミニアム「168 Sukhumvit 36」をJV開発後、退任し日本に帰国。現在はウクライナ・モンゴル・ラオスなどの不動産事業を手掛ける。岡山県倉敷市出身。

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